胆石でパンパンの胆のうをとった話⑤|手術とその後|入院の記録

病気 体験談

いよいよ、入院。そして手術前後、退院してからのはなし。

※あくまで個人の体験談です。医療に関する情報については専門機関でご確認ください。

胆のうをとるメリット・デメリット

胆のうという臓器も、人間を形成する中で与えられし臓器のひとつ。できるならばさよならしたくはない。けれど、私の胆のうは胆石でパンパンになっており、すでに胆のうとして機能していないということだった。隙間ないほどの胆石が入っていたら、そりゃ胆汁つくってもためておけないものね…。

術前説明の時に改めて説明されたことをかいつまんでまとめてみた。


メリット
・胆石が胆管に詰まる可能性を回避できる(何かの拍子に詰まると激痛らしい)

デメリット
・術後、消化不良を起こしてお腹を下しやすくなる人もいる。術後半年くらいの期間。ならない人もいる。


胆のうは消化を助ける胆汁をつくって貯めておく貯蔵庫。これがなくなったらどうなるの?

結論:胆のうなくてもほぼ困ることはない!

なぜなら、「肝臓が胆のうと同じ働きをしてくれるから!」とのこと。
だから手術でとったとしても、基本的に問題はないらしい。

胆のうを取り出す手術、前後のあれこれ

手術直前のはなし

いよいよ手術当日。手術の順番は決まっているけれど、前の手術がどの程度長引くかによって私の手術開始時間は変わるらしい。同様の手術が5件あり、私は4番目とのこと。昼前後かな、という看護師の予想時間を目安に病室で待つ。

ほぼ予想時間に呼ばれる。毎日担当看護師が変わる病院だったが、はじめて男性看護師が担当に。

事前に渡されていた手術着に着替えて待っていた。毎度思うけれど、この走ったらはだけ散りそうな布一枚の下に、何も身に着けず院内を闊歩するというのは、意識が鮮明なうちはどうにも心もとない。

看護師に誘導され、手術室に向かう。手術専用のフロアへ向かうエレベーターは、ベッドごと移動できるようにだいぶ広いつくり。

大きな病院なので、そのフロアには手術室が複数存在していた。同じように、今日手術を受ける方々が同様の手術着に身を包み、各手術室前に待機している。そして、みな複数の看護師たちに囲まれている。

囲んでいたのは麻酔科の看護師たち。私の周りにも、3、いや4人だったか。麻酔科の~と名札を見せながら自己紹介する看護師がいた。マスクで顔が隠れているし、誰が誰だかわからない、きっと今日だけの関係になると思いつつ、やさしい声音で話しかけてくれて少しなごむ。

過去、別な病気で、ものすごい痛みに襲われて緊急手術になったときは、なにしてもいいからこの痛みから解放してくれ~!と思ったが、今回は特に痛みがあるわけではない。

とはいえ、これから腹にメスが入るとなるとだんだん動機がはげしくなる。

手術の開始時間がきて、自ら手術台にあがり横たわる。
すぐさま先ほどの麻酔科医たち、実際に麻酔をするであろう麻酔科のボス(男性)に声を掛けられ、左手の甲に点滴の針がささる。

「だんだん手がしびれてきますよ~いちぃ、にぃ、さ…」

3カウント目くらいには意識がなかった。
毎度思うが、全身麻酔の威力たるやおそろしいものだ。

映画や漫画で、針一本さされてすぐさま意識を失うシーンをよくみかけるが、実感を伴って体感するとはこのことなり。

手術直後のはなし

術中の記憶は当然ない。

手術が終わったとき、声をかけられて目が覚めた。

「これ、取れたものですよ~」

と、透明な瓶に入った黒く丸い物体を看護師さんが私に向けてかざす。

ぼんやりとした意識の中で目に入ったものは、「タピオカみたい」なものだった。その言葉をそのまま自分が口に出したかどうかは覚えていない。

また意識がとんで、気づいた時には病室に移動していた。
足には血栓予防のために、空気圧でマッサージする装置がつけられており、点滴と酸素の管が数本、体からのびていることを確認。

経験上、一晩は身動きが取れないことは知っている。長い夜を乗り切ることが第一関門。

腹腔鏡手術で、小さいとはいえ体に4か所穴をあけている。麻酔が切れるとさすがに痛い。

麻酔から覚めた瞬間、自分は自分でなくなる!?

どこかで流れてきた、「麻酔から覚めた瞬間は、普段隠している自我がさらけ出されて、おかしな発言をする患者が多い」という病院関係者のつぶやきがあった。

普段おしとやかなイメージの患者さんが、麻酔が切れたとたんに口が悪くなる、とか。

私はオペナースに声をかけられたとき、何か言っただろうか。むしろ声を発することができたのかさえもおぼろげすぎて定かでない。

でも、「タピオカみたい…」は言ったのかもしれない。

手術後すぐのはなし

夜中何度か目を覚ましたが、とにかく動けないし痛いので起床時間までなんとか眠りたかった。

その日の病棟は静かで、ひざ下にまかれた血栓予防の装置が規則的に動く音だけが耳についた。

目が覚めた時には、術後すぐからスマホを操作することができたので、SNSをながめたり、入院することを伝えていた幾人かに無事手術が終わったことを連絡していた。

6時の起床時間がきて室内が明るくなり、やっと朝がきたと安堵した。

その日担当の看護師さんがやってきて、体温と血圧を測り、痛み止めの点滴以外を外していく。一番長いと覚悟していた一夜を終え、痛みを抱えながら院内を歩くリハビリのはじまり。

手術翌日に渡されたお土産

手術の翌日、看護師さんが「これ、おみやげです~」と緑の丸いプラスチックケースを手渡してきた。まぁ中身はアレですよね、取り出したやつ。

なんとなく、すぐに開ける勇気がなくて数時間放置後、寝る前に意を決してパカッと開けて中身を見てみた。

小さな球体が固まって一塊になった胆石。ぼこぼこ、ガメラの背中みたいな?
見たことないけど恐竜の卵みたいな?(勝手なイメージ)とにかく・・・

「きもーいっ!!!」

というのが初見の純粋な感想。


調べてみると、人によって全然形も色も違うらしい。私の胆嚢には、直径1~1.5センチほどの球体の胆石が4つ入っていた。小さな球体が集まってひと塊になったといえばいいのか。とにかく、集合体恐怖症の人が見たら発狂しそうな見た目の胆石。ネットで見かけたどの胆石ともちょっと違った。千差万別。

驚くべきことに、世の中には取り出した胆石が宝石のようだからとアクセサリーにする人もいるのだとか。まぁ、自分の一部だったものではあるけれど。ほんとに、人によって違うんだな。

入院は70代のレディたちとともに

手術翌日から、癒着を防ぐためにできるだけ歩くよう言われていたので、点滴をひきずりながら廊下を行ったり来たり。さすがに痛くて患部を手でおさえつつ歩く。

4人部屋同室のお三方は、70代のレディたち。

なぜ70代とわかるかといえば、配膳や点滴の際に、毎回必ず「氏名」と「生年月日」を口頭で伝えないといけなかったから。

私より先に入院していたレディたちは、みな手術を終えて回復のために入院しているようだった。

病室内での通話は禁止されていたものの、ひとりは2時間ずっと身内に愚痴らしきことを話し続けていたり。
ひとりは歌いはじめたり。起床が6時の病院で、4時に起きだし歯を磨き始めたり。

私は、あまり人と一緒に長時間いるのが得意ではないので、多少なら差額代をだして個室にしたかったけれど今回は高かったので数日の我慢…と割り切った。

1か所のみ人の入れ替えがあったが、2人のレディとは退院まで一緒に過ごした。
特に会話することもなかったけれど、70代で大きな手術を乗り越えたレディたちが元気を取り戻し、早く自宅に帰れるように願った。

5日の入院を経て退院

トータル5日間の入院生活を経て退院の日。問題なければ、と聞いていた予定通りの日数。

錠剤の痛み止めを飲んではいたけれど、いつもに近い速度で歩けるくらいには回復していた。
家までは少し距離があるけれどタクシーで帰っちゃおうかな。でもまぁまぁいけるでしょ!と、迎えと共に電車に乗った。

正直病院食があまり口に合わなかったので、退院祝いだ!とおいしい和食を食べてから帰った。思いのほか回復が早い。いや、これは食い意地か。

退院とその後

退院後は、間療養期間をもらってのんびり過ごした。

ただ歩かないと体がなまりそうで、できるだけ外を歩くようにしていたけれど、2週間くらいはやはり患部が痛くてのろのろとしか歩くことができず、杖をもち散歩するレディにも追い越される始末だった。

早い人だと、退院後すぐとか数日後には仕事に復帰するときいたけれど、勤め先は私が過去に何度か入院したことを考慮し、体力が回復するまで休むことを提案してくれた。

あまり長く休んでも、仕事モードが鈍りすぎることがこわくて、入院含めトータル3週間の後、職場復帰した。

一部にしか伝えていなかったので、いきなり消えていきなり戻ってきた私に「辞めたかと思いましたよ」と言った後輩以外は深く突っ込まれることはなく。仲は良い職場だと思うけれど、皆さほど他人に興味はない、もしくは私があまり聞いてくれるな、という空気をだしていたかのどちらか。

日常に戻るのは早い。腹腔鏡手術の負担はやはり少ないと実感。

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