麻酔を打たれ、いよいよ「卵巣の腫れ」による炎症をどうにかする手術がはじまる。あけてみないと直接の原因はわからない。
手術室はドラマで見たようなイメージそのもの。シルバーと青の無機質な空間。
なんの覚悟もないままの手術。初めての手術とにかく意識をとばしてやりすごしたかった。けれど局部麻酔はそれを許してくれなかったという話。
卵巣の手術中~目が覚めた時のことまで。
手術中のこと(痙攣と喉の渇き)
今となっては、帝王切開で出産した友人から、局部麻酔して産んだよ!という話も聞くようになったけれど、手術自体が遠い存在だったため、麻酔に違いがあることも知らなかった。
本来、局部麻酔は体への負担が少ないというメリットがある。
手術がはじまり、最初こそ意識がとんでいたけれど、なんと途中で覚醒。それはそう、局部麻酔なのだから。
目が覚めてしまってからが苦しかった。
なにせ、メスで腹を切っている、という感覚がわかる。痛くはないけれど不思議な感じ。腹の中をこねられているイメージ。
体が異常だ!と感知しているせいか、急激な寒気を感じた。
そして、肩と顎が猛烈に震えていた。ガタガタと大きく上下に動き、自分では止めようがないくらいの激しさだった。手術台からずれてしまいそうになり、オペナースが私の肩を抑える。もう、自分の意志とは関係なく動き続ける。
そしてもうひとつ。
猛烈に、どうしようもなく、喉と口の中が乾いていた。
酸素供給のマスクをつけていたけれど、オペナースも逐一話しかけてくれるので、絞り出すように「喉が・・渇いて・・」と伝えた。すると、やさしい声音でオペナースは、
「渇きますよね…でも今は飲ませてあげられないんです。多少マシになるかも」
そういって、濡れた脱脂綿でカサカサの唇を潤してくれた。
正直まったく潤わなかった。「水、水を飲みたい・・」のどの渇きがこんなに苦しいものだとは思わなかった。あたりまえに水を飲む日常がとても遠いものに感じた。
どのくらいの時間覚醒していたのか定かではないが、また意識がとんでいた。
はっきりと覚醒した時、体は病室のベッドの上だった。
術後の目覚めたときのこと
手術が終わり、ストレッチャーで病室に運ばれたらしい。そこで一度目が覚めた。
「せーのっ!」 という声とともに、体が浮く。数人の看護師さんたちがストレッチャーから病室のベッドへ私を移動させていた時だ。(重たかったですよね、ごめんなさい・・)
まだ麻酔が効いていて痛みはない。けれど、体全体の衝撃は感じる。
次に目を覚ました時、見上げた視界の右に母、左に父の姿が映った。
電車でトータル5時間弱の時間をかけて、病院まで来てくれたのだった。
酸素供給のマスクをつけ、点滴などの管をつないだまま、体はちょっとも動かせないまま、声は出せたので会話できた。
「もうー、びっくりしたわよぅ!」
そういって、手術着から豪快にさらされた私の太ましい二の腕を母がさすった。
東京でひとり暮らす自分の娘が、なんの前兆もないままいきなり手術。遠方で暮らす身内にとっては大きな衝撃だっただろう。
申し訳なさを感じつつも、もう夜も遅くなり病院を出ないといけない時間は近かった。
顔をみて、無事に手術を終えたことに安心したと、そして執刀医から説明があったとのこと。私はまだ覚醒してうつらうつらしつつ両親の話を聞いていた。
執刀医が病室に現れ、両親に向かって話をしている。
「詳しいことは、明日本人に説明しますね!」
今聞いても確かに理解できなそうだ。
両親が帰り(私のアパートに・・)、誰もいない4人部屋の一角で眠ることになった。
背中に太い点滴の針が刺さっていることがわかった。痛み止めだった。
そのおかげか、何度か目は覚ましたものの、起床の時間までだいたい眠っていられた。
次の日、まだ背中の点滴は刺さったまま。だから患部にはそこまで強烈な痛みは感じていなかった。
「癒着を防ぐために、がんばって歩きましょうね!」
と看護師さんに宣言され、私は体を起こし、腕の点滴をカラカラ押しながら廊下を行ったり来たり。言われた通りさっそく歩きまくった。
すれ違った看護師さんに「若いから元気ね!」と言われた。
今思えば本当に、若さってすごいと思う。よくあんなに歩けたなと思うほど、歩いていたな。
卵巣はどんな状態だった?医師の言葉に驚愕!
手術の翌日、執刀した医師のひとり(女医)から、手術の顛末に関して説明された。
私の体内で起こっていたことはこれ!
・卵巣のう腫茎捻転
・チョコレート嚢胞
「卵巣の管が捻れて卵巣の一部が破裂して中身が漏れてたの。でももう大丈夫!」
「卵巣取り出して、縫って、綺麗に洗って戻したから!」
「!!!!!」