何かを選択しないといけないとき、比較に比較を重ねて慎重に選択するタイプなわけだが、いつまでも探し続けていてもらちが明かないので、条件に合いそうな病院に行ってみることにした。
まぁ、そう言っても当時の情報量と判断力ではあの選択が合っていたのかはわからない。
予約いれて、まずは言ってみた。都内にある大きなビルにその病院は入っていた。都会の病院って、こんなビルの中に・・と思った記憶がある。
数々の診察と手術日をスピード決定
産婦人科、なので当然妊婦さんもたくさんいたし、一緒に来院している小さな子供たちもいた。敷地が広いわけではないけれど、患者さんが多いなという第一印象。
婦人科、産科の診察室が各2部屋あった。待ち時間が長くなることは予想していたので、いつものように本を持参して時間をつぶす。
主に検査で何度か通い、MRIを撮って、最初に診察担当したの女性の医師が執刀することになった。
医師の予定と自分の仕事の予定などをすりあわせ、手術日を決めていく。
色々とスピーディだなと思いつつ、いよいよ日にちが決まり、手術するんだという実感がわいてくる。
そこまで規模の大きな病院ではなかったので、相部屋もあったけれど差額を出しても入院期間はだいたい一週間とのこと。気を使いたくなくて、差額を自費で頑張って捻出しよう!と個室をとった。差額代は病院によって違うと思うけれど、当時入院した病院は確か15000円程度だったと思う。
入院と手術前夜の話
手術前日の夜は、胃や腸に残物がないように食事もなし、そして極めつけは「浣腸」だ。手術する臓器が胃や腸に近い場合はきれいにしておかないといけないらしい。夜に看護師さんが部屋にやってきて注入された。
子供の頃、風邪をひいて座薬を入れたことはあるけれど。便秘の自覚もあまりないので使ったことはなかった(のちにわかる、慢性便秘だったことを・・)
すぐにはもよおさないものなんだな、と思いながら横になっていたけれど、3時間程度経ったころだろうか、急に腹がぎゅるぎゅるなりはじめてトイレに駆け込む。2回程度で落ち着いた記憶があるけれど。やっぱり効くんだ、浣腸。
お腹をすっきりさせ、あとは翌日の手術を待つばかり。
眠れないかな、と思っていたけれど、個室を選択したし周囲も静かだったし、浣腸疲れがあってわりとすんなり眠りに落ちた。
手術自体の話
病院の起床時間通りに起きて、看護師さんがやってきて、手術着を渡される。
当日は、近くのホテルに泊まって待機していた身内がやってきて、談笑しつつ時間がくるのを待った。
手術予定は午後から。時間は前後するかもしれないといわれつつ、時間通りに呼ばれ、
手術着に身を包み、先導する看護師さんについて手術室に向かう。
そこまで緊張していなかった気がするけれど、あのステンレス製?シルバーの手術台を見てちょっとぞわぞわした。でもここまできたらまな板の上の鯉状態。
氏名を問われ、本人確認を終えたのちに手術着を取り払い、いわゆるスッポンポンの状態で自ら手術台にあがる。
麻酔科医の自己紹介と看護師、医師に説明を受け、いよいよはじまる子宮筋腫摘出術。
まず、「背中を丸めて体を横に向けてください」
頸椎麻酔というやつだ。実は、これがとても痛かった。
まず背中にぐっと針が刺されて、そのあと液体が体内に入ってくる感覚があった。
背中の痛みと腹の中から押し出されるような感覚があって、一瞬嘔吐感を感じた。
そのあとは、腕から全身麻酔の点滴を入れ、口元にマスクをあてがわれたのち、ものの3秒で意識がとんだ。
術後、ベテラン風格の看護師さんから「終わりましたよー」と声をかけられて目が覚めた。
当然体の感覚はないので、終わったんだ、という感想しかなかった気がするけれど、1度目の手術あとがわりと「手術しました!」という感じではっきり残っていたので、「先生がキレイに縫ってくれましたよ!」とニコニコ顔で言われて安心した。
そのまま、また意識を失い気づいた時には病室のベッドの上だった。
手術後のはなし
うつらうつらと目を覚ました時、開腹した手術の箇所の痛みを感じ始めて、とても動ける状態ではないし声も出せなかった。早く意識を飛ばしたい・・目を閉じて眠ろうとした。
足元で話し声が聞こえてきて、うっすらと目を開けると、付き添いの身内3名が話をしていた。内容はよく聞こえないけれど、ここにいてもしょうがないのでホテルに戻ろうという話をしているようだった。
そうだね、そうしてもらったほうがいいかも。
と思っていたら、父が私の横たわるベッドに足をぶつけた。その衝撃たるや!!
痛い!と思ったけれど声も出せないし、正直「コノヤロー!」という思いが沸いてきたが、静かにするしかなかった。のちにその話をして、あの時痛かったんだから!と少し責めたのだった。
個室はとてもきれいで、トイレもあったし(シャワーは共用で予約制だった)、そういった意味では快適な入院生活だったと思う。
手術の翌日、これは前回も同じだったけれど、臓器の癒着を防ぐためになるべくすぐ歩くなどして動きなさいと言われる。
まず起き上がるのが本当に痛かった。看護師さんに「がんばって!」と励まされながら、腹に力を極力入れないようにしつつ横を向きつつ起き上がる。
やっと起き上がると、はい立って!はい歩いて!と言われる。
当時は今より体力があったし、痛かったけれど、一度立ってしまえば点滴をさしたままスタスタ歩くことができた。
そんなこんなで、診察や食事以外はやることがない。
もってきた本も読み終えてしまい、あとはスマホをいじるくらいしかなかった。
大事にしたくなかったので、詳細なことはそんなに周りにはなしていなかったけれど、話を聞きつけた従妹や、親しい友人が何度か見舞いに来てくれた。
驚くべき子宮筋腫の大きさ
手術の翌日に、身内に聞いた話。
術後すぐ、執刀医が私から取り出した「子宮筋腫」を銀のトレーにのせて病室にやってきたと。取り出したものを身内に見せる、という説明はなかったので驚いたけれど、とれたてほやほやの赤々とした塊を見せられて衝撃だったと言っていた。
自分自身ではその状態をみることはできなかったけれど、のちに大きさと重さが追記された筋腫の写真を渡された。
そこでタイトルの回収。「ラグビーボール」ほどの大きさ!
というのは、重さ「1100グラム」となっていた。
1kg以上の本来体にとって不要な肉塊を粛々と育て上げてしまった衝撃。
このサイズが入っていたのに、自覚がなかった自分にも衝撃。
ラグビーボール、といったのは担当医師だったけれど、実際のラグビーボールのサイズとは?触ったことがないのでわからない
検索してみると・・
「一般用ラグビーボール(5号球)は、縦74~77cm・横58~62cm・重量410~460g」
重さでいったら、公式のラグビーボールより倍以上あったってこと!?
どうしてそこまで膨れ上がってしまったのか・・
はっきりと筋腫ができる原因は特定できないけれど、甘いもの控えて運動してね!というアドバイスをもらった(さもありなん)
退院の日
いよいよ退院の日。母が来てくれて、手続きを待つ時間がわりとあったので、ちょっと体を慣らすために病院の外周を一緒に歩いてみた。
一週間ぶりの外。腹の傷が気になって、なんとなく背中を丸めてしずしずとしか歩けなかった。院内歩行はスムーズだったのに、なんだか急に不安になる。
今日帰ってから傷口開いたらどうしょう・・とか。なんだか一瞬ナーバスになったけれど、やっと退院できることの解放感もあった。
2週間ほどだったか、自宅療養させてもらいその後職場に復帰した。
療養中は、とにかくゆっくりとストレスフリーな生活を心掛けた。
起き上がっていると傷口が痛いので、横になっている時間が多かった。
成人女性としてどうかと思うが、その2週間は母に甘えまくりで食事のほとんどを作ってもらい、おかげで2人暮らしのようでなんだか楽しかった。
職場に復帰して1週間は、落ちた体力ですぐ疲れ、座り作業の姿勢で傷が痛くて気分が落ち込み気味になったけれど、なんとか乗り切った。
特段、職場が好きというわけではないが、入院中「暇だな」と感じた時には「やっぱり働きたい」と思うのだから不思議なもの。
今回の傷跡は、縫合というか、大きなホチキスの針で留めてあるという感じだった。だからずっと腹に細い金属が刺さっている状態だった。
抜糸?というかその針を抜く日、まだ傷口は完全に乾ききっておらず不安がよぎったが、医師が見る限りはしっかりくっついたので大丈夫!とのことでピンセットのようなもので複数の「ホチキスの針」をピンピンとはじいて抜糸はすぐに終了した。
そんなんこんなで、数か月後に一度検診に行った後は、異変があったら来てくださいという感じで通う必要なしとのお達しだった。
そんなこんなで、私の2度目の手術&入院生活はひとまず幕を閉じた。